鶴居

鶴居の歴史

兵庫県神崎郡市川町、鶴居(つるい)。
三本足の鶴が舞い降りた。鶴の湧かせた名水があった。鶴女房が帰ってきた—— 地名の由来には、いくつもの鶴の物語が残されています。

南北朝時代——山の上に、城があった

集落を見下ろす標高433メートルの城山(稲荷山)。その頂に、南北朝時代、播磨守護・赤松則村(円心)の孫である永良三郎則綱(ながら さぶろう のりつな)が城を築いたと伝えられています。鶴居城。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で落城し、のちに広瀬氏が城主を務めたと伝わります。山頂には今も、石垣や堀切の跡が静かに残っています。

むかしばなし——鶴女房の、その後

「鶴の恩返し」には、播磨に伝わる後日談があります。鶴が去ったあと、男の手元に残されていたのは、水を張った皿に針が一本。書写山の座頭に見てもらうと、「針は播磨を、水と皿は皿池を指している」と教えられました。男が訪ねた播磨の皿池——それが、鶴居駅の西にある小さな池だと言い伝えられています。池のほとりで男は鶴と再会し、鶴は「お幸せに」と告げて、姿を消したといいます。

明治時代——汽笛が、村に届いた

1894(明治27)年7月、播但鉄道が開通し、鶴居駅が開業しました。隣の屋形が「銀の馬車道」の宿場町として栄えた時代の、すぐあとのこと。馬車の時代から鉄道の時代へ——その転換点に、鶴居は村の駅を得ました。開設当時から建つ木造駅舎は、播但線の香呂駅と並んで兵庫県内最古級と言われ、130年を経た今も現役です。

現在の鶴居——残ったものを、記録する

1991年に駅は無人化されましたが、木造の駅舎は今も朝夕の列車を迎え続けています。駅の西には鶴女房の皿池、背後には鶴居城の山。秋には駅前で観月会が開かれ、駅前の壁には、地元の学生たちが描いた鶴の物語——村の時間は、いまも積み重なっています。

何もなくなったわけではありません。残ったものを、私たちはここに記録します。